はい、と差し出したそれは受け取られようとしないまま僕の手にある。
「……どういうつもりだ」
「や、……」
僕が彼女に渡そうとしたそれは、透明な泡がいくつも浮いた水の詰められたつめたく薄青い、

「これをわたしに、どうしろと」
どうしろもこうしろも、それは衝動でしかなかったのだ。



薄青



放課後の教室、季節は梅雨が明けたばかりの夏のはじめ、夕方とは言ってもまだまだ強い日差しが揺れるカーテンの隙間から差し込んで目を眩ませた。
図書当番を終えて教室へ戻ってきた僕が目にしたのは、窓際の席に腰掛けてひとり涼しい顔で読書にふける少女だった。
「あ、」
「……久藤か、ご苦労」
長い柔らかな黒髪の彼女――糸色さんは、目線をちらと上げて言うとすぐに本の中へと戻っていった。
「いや、……」

その一瞬、カーテンを巻き上げる風と共に僕のどこか奥底から突き上げた衝動に、抗うことなんてできなかった。

だって仕方なかったのだ。
伏せた濃い睫毛の長さだとかさらりと白い頬にひんやりとした眼、文庫本に添えられた手の華奢な指先、そんなものを目にした僕は、
ぱちぱちと静かに弾けるあの透明な水は彼女にとてもよく似合うだろう、と―――思ってしまったらもうどうしようもなかった。
衝動のままに柄にもなく廊下を駆けて校舎の隅にある自販機の一番上、左から二つめ。ボタンを押すとがこん、という音と共に落ちてきたそれは思った通りにつるりと冷たく、そして思いの外ごろりと重く、それを手に僕はまた廊下を駆け戻って、


「どうしろ、っていうか、」
口ごもって逡巡した僕に彼女は不審そうに眉をひそめたから僕は慌てて言った。
「え、と、……似合うと思ったんだ。糸色さんに」
口をついて出たのはそんなつまらない台詞だった。
「炭酸水、が?」
「……っ、」
ぽと、と暑い空気に大粒の雫を浮かべたペットボトルから水の雫が一滴、彼女の机に落ちた。

「――残念だったな」
「へ?」
「わたしは炭酸が飲めないのだ」
「……あ、……」
ふ、と力が抜けた。
はあと長く息をついてしゃがみこみ、今更ながら自分の勢い任せな行動に気付いてしまってひとりで頭を抱えた僕の頭上から彼女は言葉をついだ。
「しかし冷たいものが欲しかったのだ。貰っておく」
「えっ」
見上げた彼女は満足げにすこし微笑むと、その薄青いペットボトルを僕の手からそっと抜き去って頬にあてた。
「勿体無いので温くなったら返すがな」
「……や、そんな、」
情けなく苦笑した僕にもう一度勝気に微笑んでみせて、彼女はまた文庫本へと視線を戻した。
その横顔は炭酸水の微かな反射を受けてきらきらとして、僕はうっかり見とれ、そして、やっぱり思った通りよく似合う、と思った。

彼女が白い片手で頬に当てたままの水滴に包まれたペットボトルに、もう少しでその淡い唇が触れてしまいそうなのに気付いてまた思わず瞼の裏をあつくした僕を、七月のぬるい風が撫でていった。


2008.07.16